これまで、寄稿していただいた皆さんに許可をいただいた上で個人名を記載させて頂いておりましたが、
個人情報保護の観点からイニシャルでの記載に変更いたしました。
■ 住吉高校合格 鶴見橋中学出身 R.M.さん
〔入塾:中1の4月〕
私はD.I.A.で3年間たくさん勉強をしてきました。1年生の時、勉強はあまりしたいとは思いませんでしたし、毎日塾に行くのがしんどいと思っていました。でも、住吉高校に行きたいという気持ちがどんどん強くなって、真剣に塾で勉強するようになりました。そうして1年が終わる頃には成績が上がってきました。2年生になって塾で勉強をするのが楽しくなっていた頃、学校の定期テストの点数が落ちてきました。1年生の時は450点を超えていたのに、2年生で450点を超えるのが難しくなりました。塾でたくさん勉強しているのに450点を取れないのには原因がありました。それは、家庭でほとんど勉強をしていなかったことです。このままでは住吉高校合格は危ないと思い、家庭で学習をするようになりました。3年生になり、家庭学習をきちんとしたおかげで、450点を超えるようになりました。7月に初めて五ツ木の学力テストを受けましたが、結果は最悪でした。その時から必死に頑張って、塾、学校、家庭で勉強するようになりました。五ツ木の合格判定も徐々に良くなっていきました。最後の2か月は本当に精神的にしんどかったです。朝6時に起きて勉強。夜は2時まで勉強。塾では、朝9時から夜9時までの土曜特訓や日曜日学習で勉強しました。それだけ頑張れたのは、絶対に住吉高校に行きたい!という強い気持ちがあったからだと思います。これだけ毎日毎日勉強してつかみ取った合格は、本当に嬉しかったです。あこがれの高校にこれから毎日通えると思うと、わくわくします。今、D.I.A.の塾生で本当に良かったと思うし、しんどかったけれど、楽しい塾でもあったと思います。他の塾では学ぶことのできない何かを学べたような気がします。塾長のギャグは、あまりよくわからないものもありましたが、何度も笑ったものもありました。これからもそれを後輩たちのために続けてほしいな、と思います。本当にありがとうございました。いつまでもD.I.A.がありますように。D.I.A.大好き。
私は、小学四年生の時にD.I.A.に入りました。そして、志望校を考えはじめたのは小学六年生の半ばくらいからでした。はじめに候補としてあがったのは高津高校でした。理由は、校則が割とゆるくて、偏差値がまあまあ高いからという小学生らしい考えでした。でも、中学一年生になると、いい大学に行きたいとも思いはじめ、それだと高津高校よりもっと上で、大学にも行きやすい高校を目指さないといけないなと思うようになりました。
こうして候補にあがってきたのが天王寺高校でした。天王寺高校に行くとなると、前以上に勉強しなければいけなかったので、とても辛かったです。
でも、少しでも休む時間が増えるようにと勉強方法を工夫しました。その方法は、寝る前と朝起きた後の暗記です。夜に覚えたことが定着しているか朝に確かめます。あとは、まちがえた問題の反復です。新しい問題をどんどんやっていくより、一度解いてまちがった問題を何度もやり直すことの方を重視して勉強していきました。
すると、とても効率よく勉強ができて、点数を維持することができました。そして、何よりも楽しくてわかりやすい塾での授業のおかげで、点数をグーンと上げることができました。
中学校生活の三年間は、勉強とクラブとの両立がたいへんでした。辛くて逃げ出したくなった時もありましたが友達や学校の先生方、塾の先生方、そして、家族に支えられてきたおかげで、ここまでがんばってこられたのだと思います。私を応援してくださった皆さんには、感謝してもしきれない想いでいっぱいです。 本当にありがとうございました。
私が三年生になって受験をしなければならない立場にあって一番辛かったことは、クラブ活動と勉強との両立でした。バスケットボール部に所属していましたが、練習はとてもハードで毎日午後7時頃まで練習していました。一・二年生のときはクラブが終わって塾に行くまでに夕食をとる時間などゆとりがありました。しかし、三年生になりキャプテンを任され、よりしんどくなりました。塾の時間も早くなり、クラブから帰り夕食もとらずに夜遅くまで塾で勉強し、帰ってからご飯を食べるということが何度もありました。夏休みは夏期講習とクラブで大変でした。クラブの練習の途中に抜けて塾に行き、またクラブに戻るということも度々で、あまり勉強ができなくて、同じ塾に通っている友達からだんだんつき放されているような気持ちがしました。クラブの仲間に対する申し訳なさと「私だけ夏休みが明けて成績が上がっていないかもしれない」という不安が重なり辛いこともありました。しかし、塾の先生方は、そんな私にたくさんの配慮をしてくださり何とか乗り切ることができました。
私はもともと勉強嫌いなので、少しでも勉強時間を減らそうと塾の授業を集中して受けて身につけました。先生方は本当に面白く、ギャグを言ったり世間話をしてくれたりとリラックスして授業を受けることができました。クラブを引退してからすぐに社会も受講し五教科を受講しました。特に私の苦手な数学に力を入れ、五ツ木の模擬テストで初めて70点を取れたときはとても嬉しかったです。他の教科もだんだんと成績が上がり、最終回の模擬テストで第一志望の高津がA判定を取ることができて自信がつきました。おかげで試験当日は落ち着いてテストを受けることができました。合格できたときは跳び上がって喜びました。私が合格できたのは、クラブをしている私に配慮してくださり、楽しい授業をしてくださった先生方のおかげだと思います。本当に感謝しています。ありがとうございました。
私は中学生になったと同時にD.I.A.に通い始めました。通い始めて思ったことは、D.I.A.はそんなに厳しくないということです。塾に入る前は、「絶対宿題とかいっぱいやろなぁ。授業、むっちゃ真面目にすんねんやろなぁ。」と思っていましたが、授業は時々おもしろい話をしてくれるし、宿題も多い時もありましたが、普段は普通の量でした。たまに宿題を忘れても素直に言えば許してくれました。私は中一からD.I.A.に通っていたおかげで、中学校では良い成績を修めることができました。中三では定期テスト前には授業をストップしてテスト勉強をさせてもらえるので、集中して勉強することができました。おかげで、そんなに根をつめて勉強しなくても450点はとれるようになりました。それは、D.I.A.の先生たちが理解しやすい授業をしてくれたからです。その結果、志望校が決まり、友達が勉強に励む中、私はみんなほど焦らずに受験勉強をすることができました。赤本をやったり、今までやってきたテキストを見返したりするだけで、自信を持って受験に臨むことができました。私の受験校は、倍率が1.8倍を超えていましたが、無事合格しました。
受験を終えた今、私は三年間D.I.A.に通ってよかったと心から思います。勉強の内容が難しくなったり、テストの点数が悪かったりしたときには、通うことが嫌になったりもしましたが、努力すればいい結果がついてくることを私は知りました。高校でも頑張って、思い出に残る高校生活にしたいと思います。
私は、中1の3月にD.I.A.に入塾しました。私にとって初めての塾だったので、最初は「塾ってやっぱり進むの早いんかな?」とか「難しくてついていけなかったらどうしよう。」とか、不安でいっぱいでした。でも、同じ中学校の子とかの友達ができると塾に行くのが楽しくなり、勉強にも普通についていくことができて安心しました。しかし、私は復習がなかなかできませんでした。復習ができないことで暗記ができなくて大変でした。でも、大原先生と懇談をして、春期講習や夏期講習等があって、復習もできると聞きすぐに講習に参加しました。すると、それまでわからなかったことがわかるようになったり、わかっていることも再び頭に入れることができたりして一石二鳥でした。それから私は苦手科目にも積極的に取り組むようになりました。中学3年になってクラス分けがあり、正直「Bクラスやろなぁ。」と思っていました。でも、発表の時、英語も苦手な数学もAクラスでした。私は、「これは大原先生からの挑戦状や!」と思いました。Aクラスの最初の授業で、大原先生から「できない人は容赦なくBクラスに落とす。」と言われて、ドキッとしながらも「頑張ろう。」と思いました。今思えば、この時「頑張ろう!」と思えていなかったら、私は住吉高校には入学できていないと思います。
受験のことを何も知らなかった私は、中3になっても英・数・国の3教科しか受講していませんでした。そのせいで、学校の理科と社会の点数はなかなか伸びませんでした。私の努力不足もあったと思いますが、理科と社会を受講していなかったので、どうしても勉強時間が少なかったと思います。住吉高校では、内申点が社会は4倍、理科は3倍になるので正直不安でした。でも、そのかわりに塾では英語・数学・国語は宿題がむっちゃ出るし、授業中も眠たさと闘いながらも頑張れたのでよかったです。私は、私立高校受験の前に、谷先生からもらったキットカットに書いてあった「自分らしく!」「最後までていねいに!」の言葉を忘れずに、公立高校の前期試験に臨みました。本命の住吉高校の受験は、すごく緊張しました。でも、大原先生の応援や谷先生の言葉、友達からの励ましで頑張ることができました。今でも入試の問題と答えを覚えているほど入試は完璧でした。そして、合格発表の日、大原先生からもらったお守りをにぎりしめて発表を見に行き、とうとう「合格」という二文字を勝ち取ることができました。自分の番号を見けたとき、本当にうれしかったです。応援してくださった先生方に感謝の気持ちでいっぱいです。D.I.A.で教えてもらえて本当に良かったと思います。後輩のみなさん、受験生はとても辛いし、しんどいです。でも、その辛さ、しんどさは合格という二文字のためにあると思って最後まであきらめずに、D.I.A.で頑張ってみてください。
最後になりましたが、今まで教えてくださった先生方、本当にありがとうございました。
僕がD.I.A.に入塾したのは、中学1年生のときでした。初めは「こんなに集中できる環境で勉強できるんだ」と思い、毎回の塾が楽しくてしかたがありませんでした。先生方の指導はとてもわかりやすく、時々してくださるおもしろい話も塾の楽しさの1つでした。しかし、中2になると遅刻が増えてダラダラしたり、テストの点数が良かっただけで天狗になったりしたときは厳しく注意してくださいました。そのおかげで成績が極端に落ちずにここまでやって来れたと思います。中3の中頃、勉強と両立させていた忙しい部活動が終わりました。そのとき、いつも足を引っぱっていた弱点科目の国語を克服するために、週に2回の個別学習に呼んでいただきました。それから国語を頑張って勉強したことで全体の成績もかなり上がりました。志望校が3科目受験でどの教科も落とせない僕にとってはとても嬉しいことでした。学校で、「合格する可能性は5割」と言われても気にせずに、最後の最後まで集中を切らさずに勉強しました。そして、入試当日、塾の先生にいただいた『お守り』を握りしめて高校へ行き、落ち着いて受験することができました。その結果、無事に合格できました。途中、なかなか成績が上がらなくて苦しい思いをしたこともありました。でも、そんな時に先生方が温かい言葉をかけてくださったおかげで、ここまで頑張って来れたと思います。D.I.A.で学んだことは、高校生活でも活かしていくつもりです。3年間、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
私は五ツ木の成績を見て、このままではダメだと思い、塾を替わりこの塾に移りました。最初は授業が学校よりもはるかに進んでいて、宿題も多いので少し不安でしたが、先生たちが熱心に指導してくださったので、すぐに追いつくことができました。私が入塾してすぐに夏期講習が始まったので、通常授業と夏期講習の両方の宿題で大変でしたが、なんとか頑張り続けることができました。こうして夏休みを頑張った結果、その成果が成績に表れました。五ツ木の成績が入塾前と比べると、百点近く上がりました。この点数を見て私はもっと頑張ろうと、ますますやる気が出ました。公立高校入試の前には、土・日を利用して過去問をしたり、プリントをたくさん作ってもらったりしました。そして、無事志望校に合格することができました。そのときは言葉に言い表せないくらい嬉しかったです。志望校に合格できたのは先生たちのおかげです。短い間でしたが、この塾に入って本当によかったと思います。ありがとうございました。
■ 高津高校合格 今宮中学出身 M.Nくん
〔入塾:中2の9月〕
僕は、中2の2学期にD.I.A.に入塾しました。中1の1学期に少し良い成績を取り、その後怠けてしまったので成績はみるみるうちに下がり、70点程あった定期テストの社会の点数は24点にまで下がってしまいました。さすがにこれではまずいと思い塾に入ることを決心しました。それまでまともに机に向かって勉強したことがない僕には少し不安がありましたが、すぐに塾に馴染むことができました。そして、中2も終わりに近づいたころクラス分けの発表がありました。先生がみんなに配ったクラス分けの用紙を見て僕はとても驚きました。数学も英語もAクラスだったからです。僕がAクラスへ行っていいのかな、と思いました。Aクラスになると難しい問題を解かなければならないし、そもそも自分にそのレベルの問題が解けるのかなあ、という気持ちで一杯でした。しかし、それは取り越し苦労に終わりました。思っていた通り問題は難しかったけれど、先生方が1から順に説明してくださったおかげで、徐々に理解していくことができました。そしてその頃1回目の五ツ木の模擬テストがありました。しかし、結果はいいものではありませんでした。なぜあれだけ勉強したのにこの結果なんだろう、と自分に問いかけました。それまでまともに勉強をしたことのない僕にはすごい勉強量だと思っていても、他人からしてみれば大したことのない勉強量だということに気がつきました。それから勉強に対する姿勢を変えて一生懸命勉強することを心掛けました。すると、夏休みあたりから学力が着実に上がっていると思えるようになりました。それまで全く分からなかった問題が解けるようになり、五ツ木の成績も回を追うごとに上がっていき自信がついていきました。そして、中3の実力テストで、苦手だった英語で96点を取った時は、嬉しくて涙がこぼれました。冬休みは塾の冬期講習と自分の勉強に頑張り、満足のいく日々を過ごせました。そして、最終回の五ツ木では最も良い成績を取ることができ、私立も第一志望の学科に受かったので、公立の志望校を『高津』に決め、そして無事に合格することができました。この合格は、僕一人の力ではなく、真剣に向き合い支えてくださったD.I.A.の先生方のおかげで成し得たものです。ありがとうございました。最後に後輩の人に言っておきたいことがあります。自分は得意だとか、ましな教科だからとか思っている教科ほどおろそかになりがちだ、ということです。僕は理科が得意だと自分では思っていたので、塾では理科を受講しませんでした。模擬試験などで、理科以外の教科は比較的安定して点数を取ることができたのですが、理科は良い時と悪い時の差が激しく、返って自信を失うものとなってしまいました。だから、得意だからと言わず5教科全て受講して勉強する方がいいと思います。僕はこの塾でとても大切なことを学びました。それは「努力すること」です。努力は必ず報われます。先生方は各授業を通してこのことを伝えたかったのではないかと思います。受験を迎えるみなさん、悔いの残らない勉強をしてください。
僕がこの合格体験記を書き始めて最初に思ったことは、『D.I.A.に通うことができてよかった』ということです。入塾して初めのうちは、塾の雰囲気になじめるかが不安でしたが、話しかけてくれる子がいて、すぐに塾が楽しくなりました。塾の授業にはメリハリがあり、先生方が面白い話で僕たちを和ませてくることがあれば、厳しい口調で指導してくださることもありました。そのおかげで僕は塾や学校の宿題以外にこれといった勉強をすることはありませんでした。しかし、塾を辞めたいと思ったことは少なくありませんでした。特に夏休みは、夏期講習と通常授業のW授業、さらに部活にも行かないとならなかったので、本当にしんどかったです。ですが、それに耐えられたことが、受験勉強のとき『あのしんどさに比べたら』と励みになりました。こうして合格発表の日を迎え、自分の番号を見つけた時は、嬉しさで何も言えませんでした。試験の出来に不安を感じていたので、合格がわかったときには、その不安から一気に解放された気がして、少し泣きそうになりました。僕が合格できたのは、家族や友達、そしてD.I.A.の先生方の支えがあったからです。D.I.A.の3年間は、僕にとって最高の思い出になりました。本当にありがとうございました。
■ 住吉高校合格 成南中学出身 K.Iくん
〔入塾:小4の4月〕
ぼくは小学校四年生からD.I.A.リーディングに入りました。最初は緊張しましたが、徐々に慣れていきました。先生の授業はおもしろく、とてもていねいでした。そうして中学校へ入学し、クラブ活動が始まりました。頑張って勉強と両立させようとしました。しかし、中学になって勉強が1ランクも2ランクも難しくなり、さらに部活で塾に遅れたりするようになりました。中学2年生になるとますます部活が忙しくなり、塾に遅刻することが多くなりました。遅れた分夜遅くまで勉強しましたが、なかなか成績も上がらず、ストレスもたまりました。そして、中学3年生の二学期の成績を見た時、とてもショックを受けました。それからぼくは、このままじゃいけない、と思い必死に勉強を始めました。志望校が国・数・英の3科目なのでとても助かりました。冬休みは毎日夜遅くまで頑張りました。その結果、私立の入試に受かり、その勢いのまま公立にも合格することができました。この塾に入れたおかげで、なんとかクラブを最後までやりながら志望校に合格できたと思います。先生方、ありがとうございました。
僕は、小学校5年生の時にD.I.A.に入りました。塾に入るまでは、ほとんど勉強したことがなかったので、塾の勉強についていけるかどうか不安でした。でも、塾の先生方は、熱心に勉強を教えてくださり、面白い話をしてくれたりと、授業がだんだん楽しくなっていきました。そして、中学三年生になって、7月に五ツ木のテストを受けてみると、志望校の今宮高校の志望校判定が悪かったので、必死に勉強しようと思いました。だから、夏休みには、夏期講習を受けて、一日中塾で一生懸命勉強しました。夏期講習が終わってからも必死に勉強して、11月からは補習も受けて弱点を克服したりと、本当に勉強をがんばりました。そんな中、僕が一番嬉しかったのは、塾長先生が受験生のためにお守りを買ってきてくれたことでした。僕はそのお守りを見て勇気づけられました。それからさらに受験の日まで一生懸命勉強しました。その結果、無事今宮高校に合格することができました。合格発表で、自分の受験番号を見つけた時はとても嬉しかったです。今回、志望校の今宮高校に合格できたのは、先生方のおかげだと思っています。ここまで支えてくれた先生方、本当にありがとうございました。
僕は、小学校6年生の時にD.I.A.に入りました。塾に行くのが初めてだったので、大丈夫かなぁ、と思いました。しかし、塾ですぐに友達ができて、先生たちとも仲良くなりました。さらに、授業の中でも時にはおもしろい話をしてくれました。だから、D.I.A.の授業はとても楽しく感じられるようになっていきました。中学3年生になると、先生たちも気合が入っていて、僕もがんばらないといけないと思いました。受験が近づいてくると、土曜日に「土曜特訓」という講座が新たに追加されました。そうすると、五ツ木の点数もだんだん上がっていき、自信もついてきました。さらに、僕は個別の「特訓生」になって自分の苦手な教科を勉強することができました。それに、先生が忙しい中、京都の北野天満宮でお守りを買ってきてくれました。このような先生方のおかげで、僕は自分の行きたかった高校に行くことができました。だから、僕は、D.I.A.に入って本当によかったと思いました。ありがとうございました。
■ 夕陽丘高校合格 鶴見橋中学出身 M.Yさん
〔入塾:小5の9月〕
私は、小学校の時に周りの人から勧められてD.I.A.に入りました。最初のころは、塾が何なのか全くわからなくてとまどっていたけど、だんだん慣れていくと授業も楽しくなってきました。でも、学年が上がるにつれて授業が難しくなり、時間も宿題も増えてきました。だから、塾に行くのがしんどいと感じることが何回もありました。でも、今ここで塾を辞めてしまうと後悔すると思って頑張って塾を続けました。中2になると、理科が苦手だったので理科も受講することにしました。すると、理科がだんだんと分かるようになってきました。そして、中3になりそれまで以上に頑張りました。でも、なかなか志望校が決まらなくて、最後の最後まで悩んで夕陽丘に決めました。でも、夕陽丘は後期入試で、受験科目は5科目なので、一番苦手な社会がありました。社会は塾では受講していなかったので不安でしたが、塾の先生がプリントを用意してくれて補習もしてくれました。そのおかげで、入試では社会が一番解けて嬉しかったです。もし、辛くなった時に塾を辞めていたら自分はこの高校に行けなかったと思います。本当にあの時辞めなくてよかったと、今つくづく思います。今までありがとうございました。
ぼくは、中3でD.I.A.に入りました。はじめは緊張して通っていたけど、同じ中学校の友達がいたし、 先生方の面白い雑談が混じった楽しい授業だったので、すぐに塾になじめました。楽しいだけでなく集中 する時は集中するというすばらしい環境での勉強は、時間の経過が早く感じられました。ぼくは、D.I.A. に入るまで家であまり勉強をしていませんでした。だから、はじめのうちは宿題が多く難しいと感じていました。 でも、授業を聞いているうちに内容が理解できるようになり、宿題があまり苦ではなくなりました。 ぼくは、サッカー部に入っていて、練習が終わった後に塾に行っていました。 塾は部活動をしている人のことを考えて時間割を組んでいて、練習が終わった後でも授業に間に合いました。 クラブが終わって急いで塾に行く、という生活はとてもハードでしたが、とても充実していて毎日が楽しかったです。 クラブ引退後は勉強だけに集中しようと思っていましたが、クラブがない生活は、緊張感が欠け、 思ったほど勉強に力が入りませんでした。しかし、先生方の熱心な指導により最後まで頑張り続けることができ、 目標の高校に合格することができました。一年間という短い間でしたが、お世話になりました。本当にありがとうございました。
ぼくは、D.I.A.に通うまでは、塾は宿題が出るし、しんどそうだし、行ってもあまり変わらないと思っていので、 塾へは行きたくありませんでした。学校の先生にも、あんたにはD.I.A.は無理や、と言われたし、友達もD.I.A.は 厳しいと言っていたので、ついていく自信がありませんでした。でも、中3では受験勉強をしていかないといけないし、 自分ではどうやって勉強したらよいか分からなかったので、D.I.A.に行くことにしました。最初は授業がむずかしくて わからないときもあったけれど、すぐに慣れて宿題もできるようになりました。思ったよりもしんどくなくて、 学校のテストの成績も上がっていきました。ほぼ毎回宿題が出るので、家での勉強時間も増え勉強する習慣もついていきました。 ぼくは、塾の授業は、みんながしゃべっていると思いましたが、D.I.A.はものすごく静かで、 授業が集中して受けられたのが良かったと思います。D.I.A.に行く前は、志望校は今宮だったけれど、 塾で勉強していくうちに志望校が変わって桃山にしました。合格した時はとても嬉しかったです。 志望校に合格できたのはD.I.A.のおかげだと思っています。たった1年間だったけれど、本当にありがとうございました。
ぼくは、中学校に入学すると同時にD.I.A.に通い始めました。塾に通うのは初めてだったので、とても緊張しました。しかし、塾には同じ中学校の友達がいたので、すこし安心しました。それでも、通い続けていくと慣れてくるもので、緊張もしなくなり、塾へ行くことが「面倒やなあ」と思うことも増えてきました。けれども、ガチガチに緊張して授業を受けるよりは、「進歩したかな」と思っていました。
そんな少しダラダラとした状態で、3年生の中盤くらいまで過ごしてしまいました。だから、「このままではヤバイかな」と思って勉強し始めようとしたとき、家での勉強に慣れていなくて、勉強をやろうとしても集中できなかったり、すぐに寝転んだりしてしまうことが度々ありました。(言い訳になりますが、学校も家もあまり勉強できる環境ではありませんでした。)
しかし、それでやらないというのはダメなので、少しずつ勉強時間を増やし、集中するようにしました。塾で補習を受けたり、たくさんプリントを作ってもらったりして、半年前とは生まれ変わったように勉強するようになりました。公立の前期入試で合格した子たちが喜ぶ姿を少しうっとうしく思いながら、後期受験のぼくは勉強を続けました。
その結果、無事に志望校に合格できました。とてつもなく嬉しくて、ずっとニヤニヤしていました。しかし、内申点を上げることや、もう少し早くから勉強をしていたらという後悔が残ってしまいました。だから、大学受験ではこんな後悔をしないようにしたいと思います。
今一番思うのは、D.I.A.
に通ってよかったということだ。
三年生で引退するまでサッカー部を続けながら、塾に行くのを嫌だと思ったこともなくやってこれた。よくD.I.A.
は、「厳しい塾」だと言われたり、そんな話を聞いたりもしたが、実際は「厳しい」というより「真剣」に先生方が考え指導してくれる塾だと思う。塾の授業では勉強以外の話も色々してくれ、笑い話や為になる話などを今も覚えている。
三年生になり受験の一年となった時も、一年生からの積み重ねのおかげで、焦って『必死で勉強しなくては!』というような気持ちではなかった。塾では補習授業をしてくれたり、長い一年の間にだらけた気持ちにならないように励ましてくれたり、ハッパをかけてもらった。
僕が一番感激したのは、忙しい中、塾長先生が京都の天満宮まで行き「お守り」を皆に買ってきてくれたことだ。もちろんその「お守り」は、私立の清風を受験する時も、天王寺を受験する時も大切に制服のポケットに入れていった。塾の仲間もみんな無事天王寺に合格し、「合格」の喜びも一層だった。
またこれから次の目標に向かって頑張ろうと思うが、D.I.A.
での思い出は、これからも僕の励みになると思う。本当にありがとうございました。